それを祖母にいつも
「今度、大阪にいったらこれ探してきて」
と、よく言っていました。祖母は、「探しておくね」と言ってくれていましたが、確かネパールかどこかのもので、今だとわかりませんが、昔はそんな海外のダルマの人形は手に入らなかったでしょう。
実際、日本の赤いダルマの人形以外は祖母からもらうことは結局ありませんでした。
なんでダルマの人形に興味があったのかわかりませんが、今から思うとなんか縁があったのではないかと感じます。
ダルマの人形に元になっているのは、インドの達磨大師です。
達磨大師は、禅を広めるために中国に渡っています。
しかし、あまりに修行が厳しかったために脱落する者が多く、達磨大師は考えます。
禅は精神修行ですが、肉体がそれについてきていない。
そこで「易筋経」という体操を教えます。
その易筋経が発展して、少林寺拳法になったという説があります。
沖縄は、当時、琉球と呼ばれていましたが、琉球には「手(ティー)」と呼ばれる武術がありました。今の空手の原型です。
ティーにも何種類かありますが、琉球は中国とも貿易をしていたので、中国拳法の影響を受けていると思われます。空手の型の中には、中国拳法らしき動きがあるものがあります。
中国、沖縄とは別に、日本には剣を中心とした武術が発達して行きます。
剣は、三種の神器ということもあったのでしょうか、日本では剣術を中心に武術が編み出されて行きます。
柔術にしろ、杖術にしろ、対剣術を想定した動きになっています。
日本に初めて空手を紹介した船越義珍氏の高弟で、幻の名人と言われた江上茂氏が、親英体道の井上方軒氏の柔らかいが凄まじい技に驚嘆し、空手に日本武術の融合を試みます。
江上茂氏は、第二次世界大戦でスパイを育成していた陸軍中野学校で教官をしており、今で言ういわゆる超能力のような研究をそこで行っています。
江上茂氏は陸軍中野学校で研究していたことの再吟味と新しい空手を弟子の青木宏之氏を実験台に始めます。
それが後に、前衛武道と言われた新体道になります。
新体道創始者の青木宏之先生は、私の師匠になりますが、青木先生は元々舞台俳優を目指されていて、その体力作りに空手を始められたのがきっかけですが、その他油絵など新しい空手が完成した後には、美術の世界へ戻られる予定でした。
青木先生はミイラ取りがミイラになったといわれますが、空手では理想を追求できないということで、新しい時代の体術を求め、三十名ほどの優れた武道家を集め「楽天会」を結成。約三年間の猛稽古から、現代に生きる総合的な人間開発のための体術「新体道」を創始することになります。
青木先生のアーティスティックな発想が原点にあるため、70年代新宿での前衛芸術活動や日本を訪れるヒッピーやバッグパッカーなど、アーティストが多く学びました。
当時は、あまりに斬新だったため、日本人より海外から来るバッグパッカー達に人気があり、彼らがそれぞれの国に帰り、現地で広まりました。
その当時の記録映画がこれです。
雰囲気がなんだかサーフィンの「エンドレス・サマー」みたいで、当時の雰囲気を感じます。

