2007年12月アーカイブ

私が子供のときに、なぜか知りませんがダルマの人形ががすごく好きでした。百科事典には世界のダルマの人形が出ていて、その中に色の白いものがありました。
それを祖母にいつも

「今度、大阪にいったらこれ探してきて」

と、よく言っていました。祖母は、「探しておくね」と言ってくれていましたが、確かネパールかどこかのもので、今だとわかりませんが、昔はそんな海外のダルマの人形は手に入らなかったでしょう。
実際、日本の赤いダルマの人形以外は祖母からもらうことは結局ありませんでした。

なんでダルマの人形に興味があったのかわかりませんが、今から思うとなんか縁があったのではないかと感じます。

ダルマの人形に元になっているのは、インドの達磨大師です。
達磨大師は、禅を広めるために中国に渡っています。

しかし、あまりに修行が厳しかったために脱落する者が多く、達磨大師は考えます。

禅は精神修行ですが、肉体がそれについてきていない。
そこで「易筋経」という体操を教えます。

その易筋経が発展して、少林寺拳法になったという説があります。

沖縄は、当時、琉球と呼ばれていましたが、琉球には「手(ティー)」と呼ばれる武術がありました。今の空手の原型です。
ティーにも何種類かありますが、琉球は中国とも貿易をしていたので、中国拳法の影響を受けていると思われます。空手の型の中には、中国拳法らしき動きがあるものがあります。

中国、沖縄とは別に、日本には剣を中心とした武術が発達して行きます。

剣は、三種の神器ということもあったのでしょうか、日本では剣術を中心に武術が編み出されて行きます。
柔術にしろ、杖術にしろ、対剣術を想定した動きになっています。

日本に初めて空手を紹介した船越義珍氏の高弟で、幻の名人と言われた江上茂氏が、親英体道の井上方軒氏の柔らかいが凄まじい技に驚嘆し、空手に日本武術の融合を試みます。

江上茂氏は、第二次世界大戦でスパイを育成していた陸軍中野学校で教官をしており、今で言ういわゆる超能力のような研究をそこで行っています。

江上茂氏は陸軍中野学校で研究していたことの再吟味と新しい空手を弟子の青木宏之氏を実験台に始めます。

それが後に、前衛武道と言われた新体道になります。

新体道創始者の青木宏之先生は、私の師匠になりますが、青木先生は元々舞台俳優を目指されていて、その体力作りに空手を始められたのがきっかけですが、その他油絵など新しい空手が完成した後には、美術の世界へ戻られる予定でした。

青木先生はミイラ取りがミイラになったといわれますが、空手では理想を追求できないということで、新しい時代の体術を求め、三十名ほどの優れた武道家を集め「楽天会」を結成。約三年間の猛稽古から、現代に生きる総合的な人間開発のための体術「新体道」を創始することになります。

青木先生のアーティスティックな発想が原点にあるため、70年代新宿での前衛芸術活動や日本を訪れるヒッピーやバッグパッカーなど、アーティストが多く学びました。
当時は、あまりに斬新だったため、日本人より海外から来るバッグパッカー達に人気があり、彼らがそれぞれの国に帰り、現地で広まりました。

その当時の記録映画がこれです。
雰囲気がなんだかサーフィンの「エンドレス・サマー」みたいで、当時の雰囲気を感じます。

稽古スケジュールはこちら




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高校生のころはパンク音楽が好きだったのですが、簡単な3コードを覚えて自分なりに曲を作っているうちにコード理論を勉強したくなり、いろいろな本を買って勉強していました。

コード理論を勉強しているとジャズがそういうことを体系づけて学べる音楽だということを知りました。父がジャズが好きだったこともあり、もう父も聴かなくなったレコードを漁っていると、結構有名なミュージシャンのものがあり、それを聞きながら家にあったピアノでコードを勉強しはじめました。

元々クラシックギターをやっていたのでギターは弾けましたが、ピアノはとにかくコードを勉強したいので、一人で試行錯誤しながら弾いていました。しかし、独学では限界があるので、家の近くのピアノ教室に電話しまくりましたが、当時は今のように大人のピアノ教室等はなく、ピアノや習い事は子供から始めるというのが常識であったので、電話すると

「今、何歳ですか?18歳ですか、はじめるのは遅いですね」

なんて言われることもありました。

日本ってなんて幅の狭い国なんだ!と本当に腹が立ったことを思い出します。

アメリカではジャズを教えている大学があるということも知りました。
そんな私を見ていた母が、新聞の折り込みチラシに出ていたピアノ教室を教えてくれました。
アメリカの大学院で音楽を勉強した人が、アメリカスタイルのピアノ教室をやっているということでした。
実家は奈良で、家の近くでした。奈良にそういう人がいたというのも今考えると運が良かったと思います。

そういう経験もあり、日本人はなんかみんな一緒にいるし、なんか独創性が無いし、ピアノ習うのも子供からしかチャンスがない、なんて人の可能性を伸ばさない国なんだ!、それに比べそんなピアノ教室が存在するなんて、アメリカはなんてすごい国なんだ!と思っていました。

東郷重位

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攻撃こそ最良の防御法とする実戦剣、薩摩・示現流を編み出したのは、東郷重位(トウゴウ シゲタカ)である。

薩摩の示現流には、他流のように防具をつけた二人が、竹刀で競うことはしない。木刀を手にして、稽古はすべてひとりである。立木内で、六尺ほどの丸太を立て、左右から袈裟がけに打ちまくる。

このほかに「打ちまくり」というのがある。
立木打のように丸太を数本たてて、その間を駆け巡りながら狙い打つ。走る速さと足運び、多敵戦法の訓練だが、単純なようで理にかなっている。

剣の奥義が相討ちであったことから、身を挺して相手を倒すことだけを念頭に置いた。個人技の探求だった道場拳法と違って、一人対複数の野試合戦法である。

示現流に斬られたものは、真っ向唐竹割で、疵口が深く、袈裟がけは臍の下まで切り下げられていた。
新撰組の近藤勇も、絶えず隊士に注意を呼びかけた。
「示現流の初太刀をはずせ」

示現流とは菩薩が衆生済度のために身をさまざまな姿に変えてこの世に現れることで、観音経「示現神通力」からとったとされている。重位は、最初自顕流を学んでおり、自顕流と同音異字の示現流に改めている。

幕末は、新撰組の天然理心流と、この示現流が二大剣術であった。
トランス武道研究会がベースとしているのは、新体道という前衛武道です。

新体道は、近藤等則氏が24歳の時に出会って玄米食、整体、体を鍛えることを通して世界的なミュージシャンになられたことでも有名です。

私がトランス武道研究会を始めようと思ったのも、周りを見ても時代的なことが原因なのかアグレッシブに今までの常識を否定して新しいものを創って行こう!っていう気概を持った人がなんか少ないです。もしかしたら周りがサラリーマンなので、現実を見てしまってそういう気がなくなっているのかもしれません。

私はそういうのに飲まれるのは嫌なので、そうなったら自分でそういう人を集めて行こう、そう思って創ったのがキッカケです。

現在少人数ですが、近藤さんと同じようにアート系な人たちが習われています。

一度彼らを新体道創始者・青木宏之先生にご紹介したことがあるのですが、青木先生も

「新体道のコンセプトはアーティストの方が理解できるだよな」

とおっしゃっていました。

この本を読むと、私もこういうムーブメントを起こしたい!という衝動に駆られます。

何かを作り出したい、現状を打破したいと思っている方は是非読んでみて下さい。
70年代の日本に起こっていた一大芸術活動の勢いが感じられます。

日本フリージャズ史
著者: 副島 輝人; 新品 ¥2,940

トランス武道 2008年1月の稽古日程です。

  • 1/19(土) 19:00 - 21:00
  • 1/26(土) 19:00 - 21:00
稽古映像はこちらをご覧下さい。

[場所]
下北沢駅南口下車、代沢小学校体育館(駅から15分くらい)

下北沢南口を出てマクドナルドを左に見ながら南口商店街を抜ける。ファイミリーマートなどを通り越して、代沢三差路を右に直進。左側に小学校が見 えます。緑色の小門の鍵を自分で開けて入ってきてください。体育館は入って運動場を右に横切るとあります。入 り口は2階になりますので、階段をあがってください。

[地図]
稽古場所の地図はこちら

[会場費]
一般 2,000円
体験レッスン 1,000円
※見学をしても「気」の流れの感覚を体験できないため、見学はお断りしております。ご興味のある方は体験レッスンにご参加ください。

ご参加、ご質問等は以下へご連絡ださい。
info@trancebudo.com

針ヶ谷夕雲

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”心法の剣豪”と呼ばれた武術家。
通常の剣術は、先の先、後の先といった、相手の攻撃が見える前に攻撃したり、相手の攻撃を捌いて攻撃したりします。

しかし、この無住心剣術は

「ただ太刀を眉間まで引き上げて落とす」

という非常に簡単で誰でも出来る太刀捌き飲みですべてに対応するという非常にユニークな剣術です。

この発想の元には「剣術は弱いものには勝ち、強いものには負け、同程度の相手とは結局相討ちしかない」
という、相対的な剣術の原理に悩みを深くし、この状態を抜けるべく、禅に道を求めたことがあります。

しかし、直接の原因は、夕雲が上州伊香保温泉に出かける途中落馬して重傷を負い、左手がまったく使えなくなったという事故にあった為です。

当時夕雲が最も信頼していたと思われる禅僧、虎白は夕雲の旅先での事故を知り、見舞いのものを夕雲の元へ送り、そのときひとつの口上をこの見舞いのものに託している。

それをきっかけに夕雲は大悟し、無住心剣術を起こした。

無住心剣術開流の証として、当時日本一といわれていた師の小笠原玄信と立会い、玄信の秘術、八寸の延金(イメージによる方法なのか、剣が実際よりも八寸長いとイメージすることで、相手には実際にそのように見え隙を与えない技)に対して快勝している。

夕雲は戦国末期に生まれで、身長は六尺、力は三人力あったという恵まれた体格と体力があったため、その剣術は気力と体力にまかせ、刃引き刀で多人数を相手に片っ端からたた切るという凄まじいものであったようです。

刃引きの刀にしていた理由は、刃がついていると大勢を切っている途中で刃がこぼれ、切れなくなるので最初から刃をつけずにたたき切るほうが効率が良いということです。

積雲は生涯で52回の真剣勝負を勝ち抜いているが、それは無住心剣術以前の話のようです。

 

この無住心剣術は、柔和無拍子、無為自然の剣法と言われ、この柔和無拍子を強調している。

開悟し、心法に目覚めた夕雲は、今まで修行してきた剣術を、よりいっそうシンプルな形で再構築したんでしょう。

 

無住心剣術の三代目真里谷円四郎は、サムライチャンプルーというアニメに出てきます。

沖田総司

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沖田総司の剣風は、近藤勇に似ており、かん高い掛け声までが良く似ていたが、竹刀を取っては一段も二段も近藤の上を行っていたという。

 

普段はおとなしく愛嬌のあるにらめのような扁平な顔立ちの色浅黒い男が、ひとたび竹刀を取ると別人のように短気になり、教え方もひどく荒っぽかった。太刀捌きには天才的なところがあった。

 

得意技として周知されているのが、いわゆる三段突きである。

突く、引く、また突く、という三挙動を一調子で使う修練の早業だったと伝えられる。

喉、胸、腹の上下三段を連続して突き分ける妙手であったとも言われています。

 

天然理心流の試衛館は、出稽古に行くことが多く、沖田総司は十代にしてすでに先生扱いされていました。

沖田総司は初の出稽古から足掛け四年の間、幕府浪士組として上洛するまで、十二回小野路村に稽古をつけていたが、その当時からすでに発病してようです。

 

そして二十五歳という若さで病死しています。

 

昔、京都の壬生寺に行きましたが。

そのとき、天然理心流の演武会があったのですが、予定が合わず見れませんでした。

でも、沖田総司のお墓には行きました。そこには沖田ファンの女性からのファンレターがたくさん入った箱があり、若い女性がまた手紙を置いていく姿がありました。

真里谷円四郎

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「ただ太刀を眉間まで引き上げて落とす」

という非常にシンプルな技法しか持たない無住心剣術ですが、この真里谷円四郎は、千回の他流試合に千勝しています。

またこれだけすごい実績があるにもかかわらず、柳生心陰流、新撰組の天然理心流、坂本龍馬の北辰一刀流などのように、まったく名が知られていません。

 

無住心剣術は、「相ヌケ」という「相討ち」の先を目指しています。

相討ちとは、対する二人が共に攻撃を受けてしまい、倒れてしまいます。

相ヌケとは、お互いが打てない、打たれない状態になることを指します。

 

無住心剣術の免許を得たものは、どんな摩訶不思議な剣豪や名人が現れても負けることはなく、相ヌケが究極の状態であるという。

 

門人の中でも師匠と相ヌケになるのは、二人とは現れないといわれていたが、この真里谷円四郎は、夕雲の弟子でインテリであった小出切一雲と相ヌケにならず、打ち負かしてしまった天才です。

 

針ヶ谷夕雲は新陰流や十数流を学び、小出切一雲は庄田真流など十三流を学んでいたが、この真里谷円四郎は無住心剣術の純粋培養であったため、完成度は一番高かったようです。

そのためか、小出切一雲と二回立ち会って、師匠である小出切一雲に二度とも勝ちを収めています。

 

無住心剣術では、「執着、こだわりを持つな」と剣理があり、これに忠実であったため、流派の中で絶対視されていた相ヌケに対しても、強いものが勝っただけと冷静に受け止めています。

 

トランス武道がベースとしている新体道では、この無住心剣術の思想をベースに剣術が組み立てられており、技は十本ほどしかない非常にシンプルなものになっています。

新体道の剣術は、親英体道の井上方軒先生から”幻の名人”と言われた陸軍中野学校でスパイ教育にも従事した空手家江上茂先生が盗んだものを、さらに新体道創始者青木宏之先生が盗んで伝わったものです。

幕末四大人斬りの一人。短身痩躯、一見すると女性と見間違えるほどの優男ですが、その外見とは裏腹に性格は怜悧冷徹で四大人斬りの中でも最も恐ろしいといわれた男。

父は熊本藩士小森貞助。のち河上玄兵衛の養子となった。天保五年(1834年)に生まれ、明治四年(1871年)も三十八歳で刑死しているので幕末人です。

「人斬り彦斎」と呼ばれている。

藩では頭を丸めた国家老付きの小者でたいした人物はいなかった。だが彼は群を抜き断然違っていた。

兵学を進んで宮部鼎蔵に学んだ。文の方は轟武兵衛に学んだ。こういう縁から今度は肥後の大物林桜園に皇学をも学んだ。特に林桜園は熊本神風連の巨魁であった。これが彼の運命を定める。三人とも幕末尊皇攘夷運動の志士、学者でした。

後年独自の玄斎流居合いの名手といわれたが、道場剣術のほうはどちらかというと下手だった。一見優しげな男でもあった。

彼は真剣を抜いては人を切る居合の練磨を日に何百回となくやっていたらしい。一番自然な今朝切りや逆今朝といった必殺技を磨いていた。

彼が斬る時は、右足が前、左足は後方に伸ばす。その膝はほとんど地に接している。剣は右手だけの操作。

慶応年間の幕府と長州藩の戦いでは長州藩に属して戦った。何人かに斬りつけていたが殺してはいないようだ。このとき幕府方についた肥後藩説得をやったがかえって捕らえられ、投獄された。維新後、新幕府の方針が開国に方向転換したため反対し、新幕府によって投獄された。攘夷一筋だったため、ついに頑固者として斬られてしまう。

彦斎は、居合を我流で習得しているようで、そこがカッコいいと思います。今のようにDVDなどがあれば色々な流派を研究したりできたでしょうが、この当時はイメージを使ってひたすら研究したんだと思います。逆に、皆情報が無い時代だから、まったく違う発想で、少ない情報から自分で技を組み立てていくというほうが、人間のからだや脳にはすごく刺激が与えられるのかもしれません。

逆刃刀の模造刀を売っているサイトもあります。
逆刃刀がほしい方は、こちらをご覧ください。
http://www.n-p-s.net/gekityu-sword.html

世界の人口比率からいうとすごく少ないはずのユダヤ人がどうして、世界の経済をコントロールすることができるのか?
そんな疑問が前からありました。

でも、世界を見渡すと、ユダヤ人や中国の華僑をはじめ、国を追われたり自分の国に住んでいない人たちが世界で活躍しています。

そこには、何か共通した法則があるのではないか?

そんな疑問を前から持っていたので、この本は勉強になりました。

個人的に特に面白いなぁと思ったのは、ユダヤ人は休息日をすごく大切にします。
日本人は週末も結構アクティブにすごく事が多いと思いますが、ユダヤ人は自己再生のためにしっかり休みます。

この休息方法は、アメリカの心理療法でもその休むタイミングをとりいれていますので、そのアイデアの出所は実はユダヤの掟だったのかもしれません。

もちろんその他に処世術、商法、人生観、結婚観なども書かれていて、内容が完結まとまって読みやすいです。
人はいつも安定を求める傾向にあると思います。

仕事でも恋愛でもハラハラドキドキっていうのは、短い時間だと刺激になりますが、それが慢性的に続くと精神的に参ってしまいます。

しかし、ユダヤ人や中国の華僑の人たちは自分たちの国を追われて他国に出て行くしかなく、そうなると日本でも問題になっていますが年金なんてもちろんないし、新参者が新しい土地で生活しなければならないので、地元民との衝突もあるでしょうし、その中で仕事をして行かなくてもならないので、すごく大変な状態に置かれていると思います。

でも、何かの制限があるから新しいものを生み出す原動力になるのだと思います。

華僑の人たちの話を聞いたのですが、以下のことをやって自分たちの方向性を決めているようです。

  1. 教育に力を入れている
  2. 同じ華僑同士のネットワークを築いている
  3. 風水を取り入れている
  4. 武術で体と精神力を鍛えている
教育というのは、日本人であれば誰でも高い水準の教育を受けられるので、そこはラッキーだと思います。ただ、誰でも受けられるという事や、ゆとり教育の弊害で学力は落ちてきていると思います。

実際、私は外資系企業で働いていますが、英語を話せる日本人より、日本語を話せる外国人を捜す方が簡単な場合もあるため、日本人を採用しないケースが出てきました。
ニートやフリーターというのは精神的な問題も含んでいるとは思いますが、そんな事している間に人口も減ってくるので、このままだと日本人はやばいんじゃないか?と思います。

ネットワークは日本人でもいろいろ持っている人はいるかと思いますが、華僑の人たちは海外に出て大変な思いをしているとは思いますが、そのため世界の生の情報が手に入れられるという環境も同時に手にしたんだと思います。今でこそインターネットがあるので以前より通信費や手段が便利になりましたが、そのような物が無い時代から強固なネットワークが気づけたんだと思います。

私は占いは基本的に信じないのですが、精神世界的なことは信じています。なので、ちょっと矛盾したところがあります。信じないのではなく、得体が知れないのにそれが正しい場合がある事に何か嫌悪感があるのかもしれません。認めたくないのかもしれないです。

シンガポールの街が風水に則って作られていたり、京都も風水を取り入れて作られていたため数百年の間、都として栄えたり、やはり目に見えない世界っていうのが何か影響を与えているんでしょう。

武術で体を鍛えるというのは、私も社会人になると同時に武道を始めましたが、そのおかげなのか周りの人からは紅天さんはいつも前向きだけどどうして?聞かれる事が何度もありました。これは無理だろうというスケジュールのプロジェクトが多く、その中でもきっとどうにかなる!といつも根拠の無い自信を持つ事ができたのは、武道の激しく大きく動くダイナミックな稽古のおかげだと思っています。

そういう回路を脳内に作って頂いたおかげだと思っています。

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