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針ヶ谷夕雲

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”心法の剣豪”と呼ばれた武術家。
通常の剣術は、先の先、後の先といった、相手の攻撃が見える前に攻撃したり、相手の攻撃を捌いて攻撃したりします。

しかし、この無住心剣術は

「ただ太刀を眉間まで引き上げて落とす」

という非常に簡単で誰でも出来る太刀捌き飲みですべてに対応するという非常にユニークな剣術です。

この発想の元には「剣術は弱いものには勝ち、強いものには負け、同程度の相手とは結局相討ちしかない」
という、相対的な剣術の原理に悩みを深くし、この状態を抜けるべく、禅に道を求めたことがあります。

しかし、直接の原因は、夕雲が上州伊香保温泉に出かける途中落馬して重傷を負い、左手がまったく使えなくなったという事故にあった為です。

当時夕雲が最も信頼していたと思われる禅僧、虎白は夕雲の旅先での事故を知り、見舞いのものを夕雲の元へ送り、そのときひとつの口上をこの見舞いのものに託している。

それをきっかけに夕雲は大悟し、無住心剣術を起こした。

無住心剣術開流の証として、当時日本一といわれていた師の小笠原玄信と立会い、玄信の秘術、八寸の延金(イメージによる方法なのか、剣が実際よりも八寸長いとイメージすることで、相手には実際にそのように見え隙を与えない技)に対して快勝している。

夕雲は戦国末期に生まれで、身長は六尺、力は三人力あったという恵まれた体格と体力があったため、その剣術は気力と体力にまかせ、刃引き刀で多人数を相手に片っ端からたた切るという凄まじいものであったようです。

刃引きの刀にしていた理由は、刃がついていると大勢を切っている途中で刃がこぼれ、切れなくなるので最初から刃をつけずにたたき切るほうが効率が良いということです。

積雲は生涯で52回の真剣勝負を勝ち抜いているが、それは無住心剣術以前の話のようです。

 

この無住心剣術は、柔和無拍子、無為自然の剣法と言われ、この柔和無拍子を強調している。

開悟し、心法に目覚めた夕雲は、今まで修行してきた剣術を、よりいっそうシンプルな形で再構築したんでしょう。

 

無住心剣術の三代目真里谷円四郎は、サムライチャンプルーというアニメに出てきます。

真里谷円四郎

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「ただ太刀を眉間まで引き上げて落とす」

という非常にシンプルな技法しか持たない無住心剣術ですが、この真里谷円四郎は、千回の他流試合に千勝しています。

またこれだけすごい実績があるにもかかわらず、柳生心陰流、新撰組の天然理心流、坂本龍馬の北辰一刀流などのように、まったく名が知られていません。

 

無住心剣術は、「相ヌケ」という「相討ち」の先を目指しています。

相討ちとは、対する二人が共に攻撃を受けてしまい、倒れてしまいます。

相ヌケとは、お互いが打てない、打たれない状態になることを指します。

 

無住心剣術の免許を得たものは、どんな摩訶不思議な剣豪や名人が現れても負けることはなく、相ヌケが究極の状態であるという。

 

門人の中でも師匠と相ヌケになるのは、二人とは現れないといわれていたが、この真里谷円四郎は、夕雲の弟子でインテリであった小出切一雲と相ヌケにならず、打ち負かしてしまった天才です。

 

針ヶ谷夕雲は新陰流や十数流を学び、小出切一雲は庄田真流など十三流を学んでいたが、この真里谷円四郎は無住心剣術の純粋培養であったため、完成度は一番高かったようです。

そのためか、小出切一雲と二回立ち会って、師匠である小出切一雲に二度とも勝ちを収めています。

 

無住心剣術では、「執着、こだわりを持つな」と剣理があり、これに忠実であったため、流派の中で絶対視されていた相ヌケに対しても、強いものが勝っただけと冷静に受け止めています。

 

トランス武道がベースとしている新体道では、この無住心剣術の思想をベースに剣術が組み立てられており、技は十本ほどしかない非常にシンプルなものになっています。

新体道の剣術は、親英体道の井上方軒先生から”幻の名人”と言われた陸軍中野学校でスパイ教育にも従事した空手家江上茂先生が盗んだものを、さらに新体道創始者青木宏之先生が盗んで伝わったものです。

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