沖田総司の剣風は、近藤勇に似ており、かん高い掛け声までが良く似ていたが、竹刀を取っては一段も二段も近藤の上を行っていたという。
普段はおとなしく愛嬌のあるにらめのような扁平な顔立ちの色浅黒い男が、ひとたび竹刀を取ると別人のように短気になり、教え方もひどく荒っぽかった。太刀捌きには天才的なところがあった。
得意技として周知されているのが、いわゆる三段突きである。
突く、引く、また突く、という三挙動を一調子で使う修練の早業だったと伝えられる。
喉、胸、腹の上下三段を連続して突き分ける妙手であったとも言われています。
天然理心流の試衛館は、出稽古に行くことが多く、沖田総司は十代にしてすでに先生扱いされていました。
沖田総司は初の出稽古から足掛け四年の間、幕府浪士組として上洛するまで、十二回小野路村に稽古をつけていたが、その当時からすでに発病してようです。
そして二十五歳という若さで病死しています。
昔、京都の壬生寺に行きましたが。
そのとき、天然理心流の演武会があったのですが、予定が合わず見れませんでした。
でも、沖田総司のお墓には行きました。そこには沖田ファンの女性からのファンレターがたくさん入った箱があり、若い女性がまた手紙を置いていく姿がありました。
