玄斎流の最近のブログ記事

幕末四大人斬りの一人。短身痩躯、一見すると女性と見間違えるほどの優男ですが、その外見とは裏腹に性格は怜悧冷徹で四大人斬りの中でも最も恐ろしいといわれた男。

父は熊本藩士小森貞助。のち河上玄兵衛の養子となった。天保五年(1834年)に生まれ、明治四年(1871年)も三十八歳で刑死しているので幕末人です。

「人斬り彦斎」と呼ばれている。

藩では頭を丸めた国家老付きの小者でたいした人物はいなかった。だが彼は群を抜き断然違っていた。

兵学を進んで宮部鼎蔵に学んだ。文の方は轟武兵衛に学んだ。こういう縁から今度は肥後の大物林桜園に皇学をも学んだ。特に林桜園は熊本神風連の巨魁であった。これが彼の運命を定める。三人とも幕末尊皇攘夷運動の志士、学者でした。

後年独自の玄斎流居合いの名手といわれたが、道場剣術のほうはどちらかというと下手だった。一見優しげな男でもあった。

彼は真剣を抜いては人を切る居合の練磨を日に何百回となくやっていたらしい。一番自然な今朝切りや逆今朝といった必殺技を磨いていた。

彼が斬る時は、右足が前、左足は後方に伸ばす。その膝はほとんど地に接している。剣は右手だけの操作。

慶応年間の幕府と長州藩の戦いでは長州藩に属して戦った。何人かに斬りつけていたが殺してはいないようだ。このとき幕府方についた肥後藩説得をやったがかえって捕らえられ、投獄された。維新後、新幕府の方針が開国に方向転換したため反対し、新幕府によって投獄された。攘夷一筋だったため、ついに頑固者として斬られてしまう。

彦斎は、居合を我流で習得しているようで、そこがカッコいいと思います。今のようにDVDなどがあれば色々な流派を研究したりできたでしょうが、この当時はイメージを使ってひたすら研究したんだと思います。逆に、皆情報が無い時代だから、まったく違う発想で、少ない情報から自分で技を組み立てていくというほうが、人間のからだや脳にはすごく刺激が与えられるのかもしれません。

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